公益社団法人日本通信販売協会(JADMA)は今年、40周年を迎えた。通販業界をリードする団体として、長年、業界を支え、見つめてきた。専務理事の万場徹氏に通販業界の歴史や変遷について聞いた。万場専務理事の話から、通販業界がインフラと規制の影響を受けながら、力強く成長してきた歴史が見えてきた。
――改めて協会設立の経緯は?
1976年に特定商取引法(特商法)の前身である訪問販売等に関する法律が制定された。当初は訪販が主体の法律であり、全体の条文数が24条ある中で、通販に関する条文は2条しかなかった。
そこから通販市場が伸びてきて、団体が必要ではないかという機運が高まってきた。まっとうに商売している事業者は、悪質な事業者と一線を画したいという思いが芽生えてきた。そういった事業者の思いが重なり、1983年に日本通信販売協会が誕生した。設立時は正会員92社、賛助会員101社でのスタートだった。
――設立時の通販業界の状況は?
さまざまなデータから推計した通販市場規模は5000億円に達していなかった。目立った通販は数えるほどしかなく、媒体は新聞とテレビが中心で、雑誌や折り込みも少しあったくらいだった。そんな中で92社が集まり、協会は設立した。
マスコミが通販について取材する際は、必ず枕詞のように「トラブルが多いですよね」と言われていた。通販は「安かろう悪かろう」で品質が悪いという認識だった。
――通販業界のイメージが変わる転機は?
昭和の終わりごろから平成にかけて、女性誌で通販カタログが紹介される機会が増えた。ファッションから家庭用品、食料品、趣味の品まで、いろいろなものを買えることが注目を集めてきた。
女性の社会進出に伴い、女性誌の人気も高まっており、利便性の高い通販にも注目が集まっていった。マスコミも当協会ができたことで、取材対象が見つけやすくなった。マスコミから相談を受けたり、取材先を紹介したりしていた。
通販に関する特集が増えることで、これまでのトラブルのイメージが徐々に薄まり、「まっとうな面白い通販があるよね」という認識が広がっていった。
協会が新サービスに一役
――通販を取り巻く環境の変化は?
1972年に宅配便ができた。かつては郵便しかなく、宅配便により、個配できるようになったことが非常に大きかった。
1985年に日本電信電話(現NTT)が開始したフリーダイヤルの実現には、当協会も一役買った。米国には、800番制度というフリーダイヤルがあり、同様のサービスを実現できないかと日本電信電話の前身の電信電話公社に何度も要望を出した。通話代は事業者が負担するため、回線提供側にも消費者にとってもよいサービスだと主張した。
広告郵便物も同様だ。米国では郵政公社(USPS)が大量に出すダイレクトメールに対して割引するバルクメール制度を設けていた。日本は当時、郵便法で料金が厳密に定められており、割引制度がなかった。当協会としても当時の郵政省に掛け合い、広告郵便物制度ができた。